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「きょうもダメなら、昨日のうちに発表してもらいたかった」と家人が怒りまくっていた。18日に予定されていたポール・マッカートニーの国立競技 場公演。やっとの思いでチケットを入手し、指折り数えて待っていた。開場は夕方でも日差しが強いからと熱中症対策も十分に出かけていったが、17日に続き 中止となった。
理由は「ウイルス性炎症」で、病気なら仕方ない。しかし、ポールも71歳の高齢で、ひと晩休んだところで3時間に及ぶス テージは初めから無理だったのではないか。開場時間が遅れ人波の中で1時間近く待たされ、スマホを見ていた若い女性の「やっぱりきょうも中止よ」の声でわ かったという。
主なファン層が中高年だけにおとなしく帰ったそうだが、前代未聞のできごとだけに金銭面など後始末も大変だろう。21日の 日本武道館、24日の大阪公演は予定通りなら不公平感は大きい。振り替え公演をやるにしても収容力で国立に見合うのは東京ドームぐらいで、野球シーズンが 終わるまでは無理かもしれない。
「それはないだろう、とはこのこと」と苦笑したのは陸上関係者だ。毎年、この時期国立で開いていた関東学 生陸上(インカレ)の前半を今年はやむなく16~17日に埼玉・熊谷に移して行った。「うちの学生は朝5時に合宿所を出て全競技を終え帰ったのは夜11時 すぎ。2日間とも中止になるくらいなら、インカレをやらせてもらいたかった」。
最後の国立に立てなかった、若いアスリートの悔しさを再燃させた公演中止。「千田夏光という作家に父が慰安婦制度の考案者のように嘘を書かれ、大変な目に遭った。平成3年ごろから、私の診察室にまで内外からいろんな人が押しかけ『民族のうらみをはらす』とか『謝れ』などといわれ罪人扱いされました」
こう振り返るのは福岡市在住の産婦人科医、天児都(あまこ・くに)(79)だ。天児によると、千田の著書『従軍慰安婦』には、戦時勤労動員制度の女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を同一視するなど63カ所に及ぶ問題記述があるという。
天児の父でやはり産婦人科医だった麻生徹男は戦時中、陸軍軍医少尉として中国各地を転々とした。昭和13年1月に上海で慰安婦約100人の検診をした経験から、14年6月に「花柳病(性病)の積極的予防法」という論文をまとめ上官に提出した。
麻生はこの中で、検診では「(朝鮮)半島人の内、花柳病の疑いある者は極めて少数なりし」と記し、その理由として日本人慰安婦より若年者が多かったことを挙げている。ただ、軍の命令で行った検診結果の一例を書いただけだが、千田はそれを論理を飛躍させてこうこじつけた。
「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」
千田は別のページにも同様の記述をし、麻生の論文が朝鮮人強制連行のきっかけのように書いているが、同書にはこれに関する実証的な裏付けも何もない。匿名 の元経理将校が関連がありそうに証言をしている部分はあるが、この将校が語っているのは13年のエピソードであり、麻生の論文と時期が合わない。
むしろ麻生は論文で「娼楼にあらざる軍用娯楽所の設立も希望す」「これに代わるものとして、より高尚なる娯楽施設を必要とす。音楽、活動写真、図書あるいは運動が良い」と提言しているのである。
「千田は自分の都合のいいところだけ拾い読みし、初めから結論ありきで書いている。完全にフィクション(創作)だ」
こう憤った天児が千田に抗議し、訂正を申し入れたところ、平成8年4月にこんな謝罪の手紙が届いた「朝鮮人女性の比率が高くなったのは麻生論文のためではないということで、ご指摘の通り論文を発表されたのが年のかわってからであったことも明確です。私の記述が誤解をまねき、ご迷惑をかけているとすれば罪は私にあります」
ところが、作者自身がこれほど明確に著書の根幹部分での間違いを認めたにもかかわらず、結局、それらの部分を訂正した改訂版は出版されず、『従軍慰安婦』の誤った記述が改められることはなかった。
15年3月期の業績予想は前期に引き続いて、パソコン事業関連の損失を約800億円見込んでおり、最終損益は500億円の赤字とした。
営業利益は5.3倍の1400億円、売上高は0.4%増の7兆8000億円と予想した。
東京消防庁によると、14日午前4時ごろに工場内の火勢が弱まったため、同6時ごろから消火活動を再開。
1階出入り口で燃焼していたマグネシウムに砂をかけて温度を下げた上で、ハイパーレスキュー隊が重機で出入り口のシャッターを取り除き、工場内への進入路を確保した。
その後も、進入路の温度が下がったのを確認しながら、活動範囲を拡大。乾燥した砂をまいてマグネシウムの表面を覆い、空気を遮断して消し止める作業を進めた。さらに、金属火災に有効とされる特殊な消火器も投入したという。
マグネシウムがなかった場所では、「ジェットシューター」と呼ばれる背負い式の消火装置を使って部分的な放水活動も実施した。